最近読んだ本の感想。
能動と受動でもない概念の中動、同意のもとで自分で行為をしているのだけど、それは能動的とはいえないものについての深掘り。
例えば、拳銃を向けられてお金を差し出したとすると、能動的とはいえないけど、強制的にさせられたこととも違う。あくまで同意をして、自分からお金を差し出した状況などのこと。
どんな世界でも応用できることだと感じました。
介護の現場でもそう。同意の上で行った行為でも、相手からすると、それ以外の道がない状態なのではないかってね。
それでも良いのかどうかを読み解くために、読んでみました。
以下、メモ
責任・・・今の世の中は能動か受動によって、責任が誰にあるのかが問われる。
しかし、中動態は場に責任がある。誰に責任があるなどそういう世界ではない。
「あなたさっきああいったじゃないですか。」という世界ではない。
働くこと自体が中動態であるべきでは?
今は働く=能動態のイメージがある
でも、本来は働きたいと思ってもらえる中動態が大切
暴力・・・向き合った関係性
相手を受動的にさせられる
行為を奪う
あらゆる可能性を閉ざす
暴力は権力を破壊することはできるが、権力を創造することはできない
権力・・・同じ方向を向く関係
相手も能動的に動いている
行為を利用する
政治・・・一致して行為すること
人間が複数いる限り、必ず不一致がある。政治とは、そうした不一致をもたらす複数性の中で、一致を探り、一致を達成し、コミュニティを動かしていく活動
一人一人が政治的な意見を自発的に有していることなどあり得ない。それを作り上げて、磨き上げるプロセスがあれば良い。=掲げられている政策に対して、選び、賛同or否定する行為は、権力のもとに成り立っている。選択することで自発的に行動していると、支配下に置かれている人たちも勘違いしている。
人は善を徳に置き換えようとしている
政治という営みを通じて社会を気付き上げることができる
善は、あらゆる政治組織も形態に有害な根源的暴力をもっている
結局私たちは、どこまでが自由で、どこから支配されているのかは分からない。
私が能動的に動いていると感じていることだって、誰かの権力のもとで、支配を受けているのかもしれない。
そんな世界。
100%能動的な世界は存在しないんだろうなぁ・・・。
どの世界でも、割合や階層が違うだけで、私たちは誰かに権力で行為を利用させられていて、誰かの行為を利用する存在である。
でもその中でも大切なことは、相手がどのような気持ちでその行為をしているのか、気づいて、フォローしていくことなんだろうなぁ・・・。
難しかった・・・。
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